私急行 BBA列車で行こう

主に電車の中で映画を見るBBAに差し掛かった女のネタバレ感想ブログ

2.マリッジ・ストーリー(2019年)

ネットで「泣けた…」と話題になってたので見た。前情報は離婚する映画らしいってことのみ。

 

NYで劇団運営し舞台の監督として評価されているチャーリーと、チャーリーの劇団で女優として活動している妻のニコール。8歳の息子が1人。

物語は、離婚の仲裁人が描かせたお互いの「いいところ」の手紙を読み上げるところから始まる。しかし実際にはこの手紙は読まれることはない。書いたものの、ニコールは読みたくないと言って帰ってしまう。

ニコールは元々LA出身で、チャーリーと出会う前から女優として実績があったが、チャーリーの劇団のためにNYへ移り住んでいた。仕事の依頼もあったが、チャーリーの舞台優先で断ることもあった。そうやってなんでもチャーリーのために我慢していることが当たり前になったことが少しずつニコールの心の中に蓄積していった。LAでのテレビドラマのオファーをきっかけにニコールは息子と共にLAの母の家に戻ることにする。チャーリーはドラマ撮影時限定の移住・転校として認めるがニコールは離婚を切り出し、敏腕女性弁護士も立てることに。

チャーリーも弁護士を立てなくてはならなくなるが、ニコールがLAに住んでることから調停の場はLAになり、NYとLAを行ったり来たりで大忙し。高額料金の弁護士はニコールから絞り取ってやろう!な方針のため見送ることにする。さらにニコールが(依頼をしていなくても)面談した弁護士はチャーリーは雇うことができないという。目ぼしそうな弁護士が尽くダメなチャーリーは、最終的におじいちゃん弁護士に出会う。息子の親権を少しでも多い割合で持てるよう、チャーリーにLAで家を借りるように指導などしてくれる。ところが、両弁護士同伴の打ち合わせの場ではかえってそれが「移住できるのでは?」とニコールの弁護士に突っ込まれてしまう。このままではダメだと判断したチャーリーは最初の高額弁護士に依頼し直す。改めて裁判官の前での調停では泥沼化。チャーリーの弁護士はニコールを大酒飲みで母親失格かのように責める。裁判官からはそれぞれの住まいに子供についての専門家を派遣して判断すると言う。

このままだと望まないものまで相手から奪うことになるのでは?と二人は弁護士抜きで話し合うことにする。最初はニコールの撮影のためのLAへの引越しは短期間の予定だっただろ、いやチャーリーはもっとこっちに来るって言ってたじゃないの、だのの言った言わないの水掛け論から、ニコールが結婚生活では自分ばかり我慢してたと主張すればチャーリーは自分だって若くして評価されたからもっといい思いができたのに君が急かすから結婚したんだだの、またも泥沼化。二人はお互いを罵り合い怒鳴り合い…ついにチャーリーは君が死んじまえばいい!とまで言ってしまう。言葉を失う二人…。チャーリーは言ってしまったことを謝りながら泣き崩れる…ニコールも泣いていた。

そう、離婚ってなんもいいことないのよ。絶対どっちかっていうか結局どっちもどこかしら傷ついて、なんもいいことないのよ…。でもしなきゃいけないときはしなきゃいけないのよ。

後日、チャーリーと息子が家で過ごす日に専門家の女性がやってきた。いい父親らしく見せようとするチャーリーだがなんだか空回り。息子が夕食時にリクエストしていた小さなキーホルダーのナイフでやってみせるいたずら(腕の内側をナイフで切るフリをして、切る瞬間に刃をこっそりしまってキレテナーイ!みたいなやつ)のことを女性に説明しようとして、刃をしまい損ねてざっくり切ってしまい、女性に心配されるも平静を装うチャーリー。女性が帰った後慌ててキッチンペーパーで血を抑える。馬鹿だな…。

ニコールも弁護士と想定問答をしていた。汚い言葉遣いは使ってはだめ、男(父親)はいいかげんでもいいのに女(母親)は完璧を求められてしまうのだから、と熱弁を振るう弁護士。

それらのなにがどう作用したのかはハッキリと示されないのでわからないが、親権はニコールが取ることになった。チャーリーがLAに来たときは55:45。弁護士的には少しでもニコールが多く割合を取ることに意味があるのだという。

NYに戻り劇団の仲間とレストランで報告をするチャーリーは、ピアニストの弾く曲に合わせて酔いにまかせて歌い出す。ここはチャーリー役のアダム・ドライバー長回しでずっと歌い続けるんだけど(この映画はとにかく長回しがよく出てくる)、最初はちょっとちゃらけてるんだけどだんだん気持ちが入っちゃって、最後は自分の心情を吐露するかのようでなかなかグッとくる。

一年近く経ったハロウィンの日、チャーリーはニコールの家を訪ねる。二人はお互いの仕事の近況を報告したりする。チャーリーが息子を迎えにいくと、読み書きが苦手な息子が部屋で一人でなにかをたどたどしくではあるが読んでいた。それはニコールが書いたチャーリーの「いいところ」の手紙だった。息子と順番にそれを音読するチャーリー。ニコールは部屋の入り口でそれを聞いていた。それは、今はもうないけどかつて確かに二人の間に愛があったことを思い出させるものだった。

ニコールたちと仮装を一緒に楽しむチャーリー。疲れて眠ってしまった息子を抱きかかえるチャーリー。今日はチャーリーが息子と過ごす番だからだ。それを見送るニコール。終わり。

 

どっちが悪いとかどっちが被害者(加害者)とかそういうのは、不毛だ。家族が夫婦の都合で解散するときに傷つかない人はいない。だけど解散しないことで夫婦の片方または双方が望まない生活を強いられるのも、現代社会では「我慢しなくていい」というのが主流になっている。もう壊れてしまったものは、壊れる前の状態に戻すことはできない。壊れてしまった後の状態から、じゃあどういう風な形に落ち着けていくのか。それが肝要。

私はニコールにもチャーリーにも共感はなかった。感動!とも少し違う気がする。夫婦が終わってしまっても家族が完全に終わるわけでもなく、人生も終わらないので続いていくしかない。終わる前を懐かしく思うことがあっても、戻ることはできないし変わっていって続いていくしかない。