私急行 BBA列車で行こう

主に電車の中で映画を見るBBAに差し掛かった女のネタバレ感想ブログ

ゴールデンカムイの18巻

漫画の話。

ゴールデンカムイの最新刊に昨日は震えた。いやーまさか…。

尾形という男は軍人の妾の子で、妾だった母とその母を捨てた父である軍人、どちらも殺している。親殺しである。それから人の親も殺す。妻を殺し息子(と思っていた妻の不貞の子)を殺そうとした日泥父も殺す、日泥父の子供を妊娠している女の腹を狙撃する(実際は変装であり妊婦ではなく撃たれた腹も詰め物で子供ではなかったが)、そしてアシリパの父親も殺す。まあその他にも異母弟やら無関係の人間やらいっぱいいっぱい殺しているのだが、特に「親」を殺すことが、象徴的に描かれているように思う。妊婦の腹を撃つシーンは、その執着にゾッとした。親に愛されなかった子である尾形は晴らし切ることのない、果てのない親への復讐に囚われている。父親に人の上に立つ者として、象徴的に利用されようとしていた異母弟勇作の影を、やはり父親ウイルクにアイヌの明日を象徴する存在として祭り上げられようとしているアシリパに重ねているふしがあり、「そこ」が今後尾形がこの世に踏みとどまれるか底なしの闇に堕ちていくかの境目になるような気がする。

作中ではたびたび「親と子」が出てくるが、鶴見中尉もまた一人の子の親であったことが今回わかった。彼の子は、娘だった。娘を失った鶴見は、時を経て娘を死に至らしめたかもしれない(可能性の問題であり、鶴見の娘に当たった銃弾が誰のものかはきっと誰にもわからない)ウイルクの娘であるアシリパを追っている。鶴見が日本語を教えていた「フィリップさんたち」がキロランケとウイルクであると気付いているのかは今はわからない。だが情報将校である鶴見なら掴んでいる可能性が高い。今回登場した関谷という刺青の囚人もまた、理不尽な運命のいたずらで娘を失っている。なぜ娘で、なぜ自分ではなかったのか、そこに神の作為があるのか?自分への罰なのか?同じ巻に関谷と鶴見の、それぞれ娘を失う話が収録されているのには何かの示唆を感じてしまう。

親殺しの尾形と、子を亡くした鶴見、いずれにとっても重要な存在であるのがアシリパである。そのアシリパを守るつもりの主人公杉元は、なんだか家族との縁が希薄な男である。家族はみんな結核で失っている。結婚もしておらず子もいない。何人かの親と子の因縁で雁字搦めの登場人物と違い、彼は孤独でいつも自分自身と向かい合い、目をそらし、戦っている。親と子の因縁に囚われない彼が、因縁因縁因縁の檻に囲まれて逃げ場のなくなりそうなアシリパの鍵となってほしい。あと、脱糞王もね。