アイアムアヒーロー(漫画)
1日1本ブログを書くのを続けようと思ったんだけど「アイ・アム・マザー」がまだ見終わってないので、漫画「アイアムアヒーロー」のことで風呂中に考えたことを書くことにする。
中田コロリは「主人公」の人で、鈴木英雄は「脇役」の人、「アイアムアヒーロー」は脇役が主人公になってしまった漫画だったのだと思う。
最終回後、ネットではわりと賛否でいうと否が多かった印象(あくまで印象)だが私は結構好きな終わり方だった。英雄は結局最後まで脇役だったのだ。
序盤に中田について編集者がとんでもない人だけどああいう人が面白い漫画描いちゃうんだよね的なことを言っていたが(台詞うろ覚え)、劇中においても後半に再登場するとまるで主人公然としていたのが中田という男なのだ。肥大中の組織の中で組織のカリスマに反旗を翻そうと目論んでる一派の長で、自身でそうあろうとしたわけではなく自然と人望が集まってそうなってしまう男。それでいてどこか人間らしいところのある男。
なにやってもいまいちで、仲間ができそうになってもなんだかんだでいつもぼっちになり、ヒロイン達とはいつもヘタレで最後まで一緒にいることができず、結局最後はいつもの妄想の後輩とお話ししてるちょっと禿げてきちゃった英雄とはえらい違いである。
作中、たまに英雄でもないしクルスでもない登場人物のパートがあるが、実は英雄パートもそれらと変わらないのかもしれない。ちょっと長くて詳細なだけで、「主人公じゃない人のパート」を主人公のように読まされていたのかも…。
「アイアムアヒーロー」は本来、主人公になどなる器ではない脇役が主人公になってしまった物語。
だからあの終わりは、英雄の分に合った、相応の終わり方。
というのが私の時間が経ってからの個人的意見。
なお映画版の英雄は「主人公やってる」感がすごい。だから面白かったけど作品の芯が別物だなという感想。